DE ARCHIV SAPM198 190/92 カール・リヒター ミュンヘン・バッハ室内管 シュターダー テッパー ヘフリガー フィッシャー=ディースカウ ヨハン・セバスティアン・バッハ ロ短調ミサ
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DE ARC SAPM198 190/92 カール・リヒター ミュンヘン・バッハ管 バッハ:ミサ曲ロ短調
バッハは神をほんとうに信じていた ― カール・リヒターの代名詞的録音のひとつ、J.S.バッハの4大宗教曲から、ミサ曲ロ短調。現代楽器を用いた20世紀バッハ演奏のメルクマールたる名盤です。
リヒターは驚くべき音楽性の持ち主である。彼はバッハから直系の正統的な伝統を正しく受け継いでいるが、彼の音楽には常にゆたかな創造精神が感じられ、伝統的なスタイルをなんの創意もなくアカデミックに墨守しているのではない。したがって彼のバッハは、最も正統的であると同時に、現代的な息吹を感じさせるゆたかな生命力にあふれている。彼の演奏は北ドイツ風の重厚で剛直なところがなく、南ドイツ風の柔軟なニュアンスとあたたかい光に満ちている。
旧東ドイツの牧師の息子に生まれたリヒターは、1950年代から70年代に峻厳な気迫を湛えた入魂の演奏で、現代人の心に強くアピールする清新なバッハ像を打ち立てた。
カール・リヒターの代名詞的録音、J.S.バッハの4大宗教曲から、ミサ曲ロ短調。バッハの作曲技法のすべてが集約された傑作中の傑作を、リヒターが極めて緊張度の高い演奏で進めている。確固とした解釈のもとに鳴る音楽は、時として荘厳に、また、時として冷徹に響くが、決して嫌味でない。モダン楽器小編成オーケストラによる求心力の強いキビキビとした力強いバッハ演奏が身上とされるカール・リヒターならではのパワフルな名演揃いで、ソリストが非常に豪華なのも特筆されるところ。リヒターの遺した録音の中でも格別な録音だ。
カール・リヒター(ドイツ、1926〜1981)はバッハの化身とまで謳われたが、それは1970年代はじめにアルヒーフから出された分厚い全集が認められてからである。彼のバッハ演奏が本当の意味で広く一般に知れ渡る契機となったのは事実、ともすればバッハ一色ととらえがちな彼の演奏が実は早くからヘンデルの作品を含み、またグラモフォンではハイドン、ベートーヴェンに至るまで残されている点からみるならば、広くクラシック一般の範疇でもリヒターが第一級の演奏家、指揮者であることはまぎれもない。
現代楽器演奏の大御所カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団のバッハは青春の思い出と重なるところも大きく、評価者と世代が異なる読み手は割り引くことを必要だ。LPレコードの時代を知る者にとっては多くの思い出とともに、忘れ難い存在。最近は編成だとか使用楽器だとかいろいろやかましい議論がなされるものですが、単にすりこみがきついだけのことでしょうが、老クラシック・ファンとしてはこれで満足です。CDやレンタル、配信で録音を聞くだけではレコードを手にとって聴いていた世代の評価は共有できないものだ。それでもリヒターの峻烈な演奏から得られるバッハ音楽の感動は力強いという以上に厳しいものであり、ピリオド楽器による演奏が今や主流の世の中であるが、このリヒター盤の価値は未だ高いと認識させられるのである。
録音された1961年はまだステレオ録音の最初期にあたります。今でもベスト録音の一つとして推薦する人は多い。
楽器はいわゆるモダン楽器を用いている。また、合唱団はカール・リヒター自身がバッハの教会音楽を演奏する為に結成した合唱団で、リヒターの考え方からいわゆる素人を集めたものである。一方ソリストはフィッシャー・ディスカウ、エルンスト・ヘフリガー等当時の代表的なメンバーが揃っている。この曲・この録音に出会えた幸せを噛み締めて、指揮者・オーケストラ・独唱者・合唱団それぞれが渾身の力を込めて最良の音楽を作り出し、祈り、歓喜、悲しみ、神に対する感謝 ― それを当時の最新技術を駆使した最良の録音の形で後世に残そうとしたのだと思います。
今の感覚から判断するとテンポは遅めであるが、当時では新しい演奏スタイルを築くものとして衝撃的な影響を与えた。ロ短調ミサ曲に限らず、若い頃のリヒターの演奏は生と死を厳しく見つめるというようなスタイルが目立つ。リヒター他各演奏者は、バッハの最上の音楽を広く世に知らしめなければならないという使命感に熱く燃えていたのではないでしょうか。半世紀以上も前の録音なのですが、音の粒立ちも良く、名録音といって良い録音だと思います。
カール・リヒターはザクセン州のプラウエンで牧師の息子として生まれ、11歳からドレスデンの聖十字架協会付属の音楽学校で学んだ。そして、1946年からライプツィッヒでシュトラウベやラミンに師事し、1949年には聖トマス教会のオルガニストに就任した。しかし、より自由な活動の場を求めて、1951年ミュンヘンに移り、聖マルコ教会のオルガニストや音楽大学の講師を務めながら、1955年に自らが理想とするバッハ演奏実現のためにミュンヘン・バッハ合唱団を組織し、1955年にはミュンヘン・バッハ管弦楽団も設立して精力的な活動を行い、注目を集めた。特に、1958年の聖金曜日に放送された「マタイ受難曲」の圧倒的な名演は、バッハ解釈者として、またチェンバロ、オルガン奏者としても一貫して高い評価を受けたが、3度目の来日を目前にして54歳という若さで急逝した。
- Record Karte
- マリア・シュターダー
ヘルタ・テッパー
エルンスト・ヘフリガー
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
キート・エンゲン
ミュンヘン・バッハ合唱団
1961年2月、4月ミュンヘン、ヘルクレスザールでの録音。カール・リヒターの代名詞的録音のひとつ、J.S.バッハの4大宗教曲から、ミサ曲ロ短調。現代楽器を用いた20世紀バッハ演奏の到達点となった名盤です。